「イエスは泣かれた」
イエスは、彼女が泣き、彼女と一緒に来ていたユダヤ人たちも泣いているのを見て深く心を動かされ、心を騒がせた。そして、「彼はどこにいるのですか」と言われた。
彼らはイエスに言った。「主よ、来て、彼を見てください。」
イエスは泣かれた。
ユダヤ人たちは、「イエスがどれほど彼を愛しておられるか、ご覧なさい」と言った。しかし、彼らの中には、「盲人の目をあけた方が、この人も死なないようにしておけなかったのか」と言う者もいた。(ヨハネによる福音書 11:33-37)
「イエスは泣かれた。」(ヨハネによる福音書 11:35)
は、聖書の中で最も短い節だ。
この部分を読んだとき多くの人は自然に、イエスが泣いたのは友人のラザロが死んだからだと思うだろう。でもそうだろうか?
イエスは弟子たちに「わたしはそこへ行って、彼を目覚めさせる」と言われている。 (ヨハネ 11:11)
イエスはご自身がラザロを死から蘇らせることをわかっていた。
ではなぜ、イエスは泣かれたのだろう?
ヨハネは私たちにその手がかりを与えている。
それが「イエスは深く心を動かされ、心を騒がせた」という部分だ。
ここで使われている「深く心を動かされた」という言葉は、悲しみを意味する表現ではない。ヨハネが用いているのはギリシャ語の動詞「embrimáomai」。これは「激しい憤り」を意味する。古代ギリシャ人が、戦場に突撃する前に軍馬が怒って鼻を鳴らす様子を描写するのに使った言葉だ。
イエスは彼らと共にただ悲しんでいるのではなく、怒っておられるのだ。
では一体なぜ怒っておられるのだろうか?
罪と死に、イエスは怒っておられるのだ。
オス・ギネスは、ラザロの墓の前に立ったイエスが
「悪は普通ではない」
という理由で激怒したと説明している。
神の御手による善良で美しき世界は、罪のために荒らされ、崩壊してしまった。
イエスは、ご自身の美しい創造物に罪と死が侵入したことによる痛みと悲しみのゆえ、涙を流された。
死は、神の自然な創造の一部ではない。
そのことをクリスチャンはしっかりと理解しておかなければならない。
バーナビー(オス・ギネス、ゲイブ・デイビス牧師、その他による論説に基づく考察)
